「名前」は自分自身を表す大切なものです。
日本人にとって、氏名とはどのようなものなのでしょうか。
「名こそ惜しけれ」という武士道の精神からひも解いてみましょう。
「名こそ惜しけれ」の精神
司馬遼太郎氏は、その著書の中で「名こそ惜しけれ」という考え方が日本人の倫理規範の元になっていると述べています。「自分という存在にかけて恥ずかしいことはできないという意味」であり、武士道として日本人ルーツとなり背景となる心の持ち方です。
「名」は自分自身の存在そのものであり、生きざまを映すもの。だからこそ、その名を汚してはならじ、その名において誇り高く生きるべし、と考えたのです。
もともと「名こそ惜しけれ」とは壇ノ浦の戦いを描いた「平家物語」の一節です。
「天竺震旦にも、日本我が朝にも、並びなき名将勇士といえども、運命尽きぬれば力及ばず。されども名こそ惜しけれ。東国の者どもに弱気見すな。いつの為にか命をば惜しむべき。いくさようせよ、者ども」
恥ずかしい行いや卑怯な振舞いは自分自身を辱めるものである、鎌倉武士の精神が、その後の日本人の考え方・生き方の大きな礎となり今日にいたっています。
たとえ人が見ていなくても、自分自身の行いは天が知り地が知っている。何よりも、己の名にかけて誇れるものであるべきだと捉えるのですね。
「名前」というものの大切さ
名字(苗字)が全国的に名乗られるようになったのは鎌倉時代ごろからと言われています。
平安貴族の一部特権階級を除けば平民として搾取されざるを得なかった農民たちが鎌倉の世に乗じて台頭し、各地で武士が誕生しました。その武士たちが一族や一族の領地を明確にすべく名乗り始めたのが「名字」です。
一族の結束と、領土の支配。そのために「名」はとても大切な意味を持ちました。自らの「名」で武勇伝が広まれば自分自身ひいては一族の名は知れ渡り脅威となります。一方、ひとたび恥ずべき行為を行えばその名は地に落ち名誉も信頼も失ってしまう。
「名こそ惜しけれ」とは、自分の存在及び一族の存続を賭けた誇りと恥の精神なのです。
「己の名にかけて恥ずかしいことはするな」という精神的な倫理規範・実際的な行動規範に準ずる武士道精神が、日本人の原理・原則、「理念」となり受継がれてきたのですね。
それほどまでに「名」とは「己の存在そのもの」であり「己の価値を示すもの」なのです。
日本人の苗字
日本人の苗字のベスト3は「佐藤」さん「鈴木」さん「高橋」さんです。
1位の「佐藤」さんのルーツは藤原氏に由来します。左衛門・左大臣の「藤原」、あるいは佐野・佐渡の「藤原」から「佐藤」という苗字が広まったと考えられています。
2位の「鈴木」さんは、紀伊半島の熊野神社がルーツと言われています。熊野信仰の広まりとともに一族が全国に広まりました。
3位の「高橋」さんは、地名由来の苗字で山に架けられた「高い橋」が元になっています。地名由来として最も多い苗字として東西を問わず多く分布する苗字です。
言わずとも、それぞれの苗字には様々な由来や歴史的な成り立ちがあります。人口の多い苗字もあれば、希少苗字、珍しい苗字や難読苗字など。。。そのいずれも、その人自身のルーツを紐解く脈々と受け継がれてきた大切なものと言えるでしょう。
ひとりひとりの名前
名前は親から子へと贈られる「一番最初の贈り物」と言われます。健やかに。優しく。立派に。元気に。美しく。。。。 様々な願いや想いを込めて名付けられた名。
そう考えると、自分自身の「氏名」はあなたの存在そのもの、そして「姓名」は脈々と受け継がれた結果としてのあなた自身の「生命」なのですね。
印鑑は自分自身の「名」を刻み印すもの
普段何気なく使っている印鑑は、あなたの氏名を刻み書類に印すためのものです。
大切な書類に押印し、その書類は相手の手に渡るものです。
己の行いや振る舞いと同様に、印鑑に刻まれる文字も人にも自分自身にも誇れるものをお使いでしょうか?社会生活においてあなた自信の証(あかし)となる大切な印鑑は、信頼のおける老舗印章店にご用命くださいませ。
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